超私的記事  祖母追悼!

今週月曜日の午後、祖母が天寿を全うしました。




その言葉通り、まさに天寿を全うした祖母。享年百歳。
昼過ぎに同居の彼女の娘(私の伯母)に介助されて風呂に入り、
湯船で「あぁ~気持ち良い。このまま眠ってしまいたい…。」とつぶやき
そのまま意識が朦朧となってきたので伯母が慌てて支えながら
それでも伝え歩きで自分で脱衣所まで出てきてそこにある椅子に座り
伯母に下着を履いたり着せたりしてもらった所で意識が遠のき
そのまま祖父の待つ冥土に旅立ったそうです。

孫としてはいつまでもお元気で生きていて欲しいと願った反面
自分自身が親の立場になって改めて祖母を省みた時に、
長生きする事で息子や娘が自分より先に他界する辛さを思うと
「もうこの世で過ごすのも十分だろう。お疲れ様と感謝をこめて
冥土で待つおじいちゃんのもとへ送ってあげよう。」
という気持ちが強く、悲しみにくれる葬儀というよりは
「天寿全うおめでとうございます。お疲れ様でした。そしてありがとうございました。」
という送別会のような空気が葬儀に集まった親族全員の間に流れていました。

そこで!
今回は「笑顔がおばあちゃんにそっくり」と言われたどぅいちゃんの
祖母の追悼企画記事を勝手ながら書かさせていただきます!(笑)

【おばあちゃんの伝説】

時代は明治。もともとは華族の家柄だったという祖母の実家。
祖母誕生当時は造り酒屋を営んでいたそうです。
そこで祖母は小さい頃、母親に頼まれて台所から座敷の父親に
晩酌のお酒をお盆に載せて廊下を歩いて運んだのだそうですが、
その誰もいない廊下でそのお酒をバレないようにこっそり飲んでいたそうです。
そんな小さい頃からの鍛錬もあってか九十歳を過ぎてからもお酒はイケる口で
我が妹・どぅい嬪が土産に持参した4合の日本酒を速いペースで半分以上空け
娘である我が母に止められたそうです(もちろん顔色一つ変えずに飲んでます)。

そんなおばあちゃんには他に3人の姉妹がおったのだそうです。
そして実家は「そこの娘は美人姉妹」と近所で評判だったそうです。
しかし、その美人姉妹の人数は何故か実際の姉妹の人数よりも一人少ない数で
評判になっていたそうです(!?)

そんなおばあちゃんが乙女になった頃は大正時代。
まさに『はいからさんが通る』のあの時代です。
おばあちゃんは当時の流行のファッション(髪飾りだのマントだの)に身を包み
颯爽とチャリンコをこいでブイブイ言わしてたそうです。

そんなばあちゃんがある日親戚(?)の妹が女学校の入学試験に行く際に
保護者代理で同行するように頼まれたそうです。
そこで女学校の保護者控え室で他所の父兄達と一緒に
試験が終わるのを待つことになったのですが
そこに同じように若いしかもイケメンな若者に出会いました。
どちらからともなく声をかけ話をしてみるとその若者も親戚の保護者代理で来たとか。
そして二人は意気投合(一説にはおばあちゃんが追い掛け回したという説も)。
士族出身で一橋大学卒業のそのイケメンの若者を見事GET!
まんまと結婚したんだそうです(笑)。

ここで一つ、おばあちゃんと先に冥土に逝ってるおじいちゃんにお詫びを…。

おじいちゃん、「寝ぼすけ爺ブスゴリラ♪」だの「禿ゴリラ♪」だの言ってゴメンなさい!

おばあちゃんの遺品の中に彼女が大切にしていた写真を収めたアルバムがあり、
そこに昔々おじいちゃんが大学生の頃(高校生?)の写真があったんだけど、
おじいちゃん、マジでイケメンだったわ!(爆)

「例えて言うなら、津川雅彦と長門博之を足して二で割ったような顔やった」と
誰かが言っていたんだけど、歳いってからのおじいちゃんしか知らない
我々孫の世代はどうしても信じられなかったんだよねぇ…(笑)。
「身内びいきも大概にせいや。このおじいちゃんがそんなイケメンだったなんて
想像できるか!」
などと思っていたモンです。
とんでもない過ちでした。そら「ブスゴリラ」だの「禿ゴリラ」だの言ってたら怒るな。
しかも当のおじいちゃんは「こぉりゃ~」とだけ言って笑ってたのに、
おばあちゃんの方が「これ!やめなさい!」って怒ってたっけ…(笑)。

いやぁ!おじいちゃん、おばあちゃん、ホンマごめん!

孫の中でも「ブスゴリラ」「禿ゴリラ」言いたおして組は通夜席で反省しました(笑)。

そんな二人は「親が決めた相手と結婚するのが当たり前」な、
あの時代には物凄く珍しく恋愛結婚をしました。
おじいちゃんは大学卒業後、そのまま東京で暮らしていましたが
当時は第1次世界大戦後の大不況で大学卒といえども職がなく
どこかの学校の代用教員のようなことをして暮らしていたそうです。
それでも休日となるとこの新婚夫婦は銀座だの神田だの浅草だのを
モガモボよろしくブイブイ言わせながら散策を楽しんだそうです(笑)。

しかしやはり不況の中でおじいちゃんは、職を求めて家族で中国大陸に向かいます。
どうやら総領事館の事務官の職を手に入れたらしく天津に住むことになりました。
天津の日本人疎開地の中で生活を始めた二人は
東京在住時代に儲けた子供を含み7人の子宝に恵まれ
大きなお屋敷に十五年以上も暮らしたそうです。
当時の写真が数枚だけ残っていました。
まず、天井が高っ!!なんでこんなに無駄に高いの?と思うくらい
天井がやたら高いです。そして壁の腰板も背の高さくらいまであります。
もはや腰ちゃうやん!首板やん!と言いたくなるほどの高さです。
でもこの高さは当時の中国(疎開地?)では普通の事だったそうです。
カーテンの取替えなんかしようモンなら、大変なことになったそうです(笑)。
そんな天井の高い部屋の洋風の椅子に、
伝統的な旗袍を着た女性が洋装の女児二人に挟まれて座っています。
それがおばあちゃんと、二人の伯母さんでした!(驚)
伯母ちゃん達の着ていた洋服は全ておばあちゃんの手作りなんだそうです。

家で女主人として家庭を切り盛りしていたおばあちゃん。
使用人やメイドはもとより子供には乳母までつく暮らしぶりだったそうで
その使用人やメイドは現地雇用の中国人だったとか。
それで必然的に日常会話程度の中国語を覚え、采配をしていたそうです。
そんな天津時代に我が母もそのお屋敷で生まれました。
(そういうわけで敗戦後の日本でもしばらくの間、母は
引揚者同士で中国語で会話するおばあちゃん達の姿を見かけたそうです。
おばあちゃんはバイリンガルな帰国子女だったわけですね。)

しかし日本の戦況が悪化。おじいちゃんは40歳を過ぎて兵役にとられ
敗戦直前に中国の内陸部に連れて行かれたんだそうです。
しかし、部隊が赴任先に着く前に戦争が終結。
途中で放り出されたおじいちゃん達の部隊は困り果てたそうです。
そもそも部隊が出発する際に「武器だ」と持たされた銃は
実は木で作ったまがい物。つまり見せ掛けだけの贋物で、
本来高齢で兵役に引っかからないような中高年で編成された部隊。
そんなクタクタでヨタヨタな部隊は見るからに軍隊としては最低で
偶然遭遇した八路軍にも呆れてスルーされ殺されずに済んだそうです。
(もし蒋介石軍とぶつかるコースに進んでいたら、おじいちゃんはシベリア辺りに
連れていかれてとっくに死んでしまい日本に帰って来れなかっただろうと
伯母ちゃん達が言っていました。)
そんなおじいちゃん達は近くの村にたどり着き、そこで便所掃除などをして
僅かな食料を恵んでもらい食い繋いだということです。

そのころ、日本人疎開地も敗戦と同時に多くの中国人が襲撃に来ました。
おばあちゃん達の家も同様で、家に入り込まれないように
2階の窓からぶっ掛けるためにお湯を沸かしたり油を沸かしたり
危機一髪だったそうです。
一家の大黒柱を欠く女子供だけのおばあちゃん達でしたが、
一説には当時友人として家族で付き合っていた中国人が情報を流してくれたために
家族の危機を乗り越えたとも聞いています。
もしそうなら、その方に深く感謝したいと思います。

で、なんとか日本への引き上げ船に乗り込むことになったおばあちゃんと子供達。
その港の雑踏でおばあちゃんは3人と子供とはぐれます。
そのはぐれた中に我が母もいたそうです。
もし、そのまま会えずに置いていかれてしまったら母達は中国残留孤児になってました。
しかし伯母さんが桟橋の番号を覚えていたために、なんとか
家族は再会し無事に全員一緒(おじいちゃん以外)に日本に帰ってこられました。

さて、引き上げしてきてから翌年、おじいちゃんが帰ってきました。
長い辛い旅路の果てにやっとたどり着いた家族が住む町。
家族が住むという引揚者のバラック長屋はどこかと歩いていると、
向こうから懐かしい顔が…。長女である私の伯母さんでした。
「○○子か…?」
声をかけたおじいちゃんでしたが、なんとその娘は不審そうに見上げるなり
ダッシュで逃げて行ったそうです(爆)。
家に駆け込んだ伯母さんは母であるおばあちゃんに
「変なおじさんが私の名を言って呼び止めた!」
と訴えたそうです。おばあちゃんが「それはお父さんじゃないの?」と言っても
「ううん!お父さんはあんなに汚くないモン!」と頑なに否定(爆)。
しかし、伯母さんの後を追ってきた男の人はまさにおじいちゃんだったそうです。

そこでやっと家族全員が揃い戦後の暮らしへと今日に繋がるわけです。

引き上げて半年後に一番下の娘が他界。
そしておじいちゃんも私が中学の時に他界。
そして次男である私の叔父は大人になってから難病にかかり他界。
三男な叔父さんも私が成人した頃に他界。
そして数年前に長男な伯父さんが事故で他界。
立て続けに長女な伯母さんが他界。
七人いた子供の内五人もあの世に送り出しました…。

「どぅいちゃん、長生きはええと言うてもな、
自分より先に子供を送りださなあかんというのは辛いモンやで…。」

一回だけ、ボソッとおばあちゃんが言ってるのを聞いたことがあります。

それでもおばあちゃんは、シャッキリ生きてきました。
九十歳も過ぎて何年も経った頃、
伯母さんがおばあちゃんにと持ってきた着物の柄を見て

「そんな年寄り臭い柄の着物、私は着られません!」

と、即座に却下したそうです(爆)。

「年寄り臭いって、自分もう九十過ぎてんねんで…」

伯母ちゃんが呆れて笑っていました。

数年前におばあちゃんの身体が一時的に弱った頃
年が歳なモンで伯母さんが心配してある医師に往診に来てもらうと言ったところ
それまで「もう動けない」と寝たきりだったおばあちゃんは
いきなり起き出して「こんな汚い部屋を見せたら恥ずかしい」と
ふすまを閉めるやら、なんだかんだで動き出したそうです。
よくよく考えてみると、その医師というのが往年はちょっとしたイケメンで
近所の奥様方にも人気があった医師だったとか(爆)。

「そんな事で動けるんやったら心配要らんわ。」

伯母さんは安堵するやら呆れるやらだったそうです。

この夏も暑さで弱っていたおばあちゃんに医師が入院を勧めると

「私は入院なんてしたくはありません!」

と元気を取り戻したそうです。

ここ2~3年は流石に風呂は伯母さんの介助があったものの
それまでは自分一人で入浴も出来て、最後までトイレも一人でいったおばあちゃん。
明治女の意地とプライドは現代の私達には到底真似が出来ないと
娘の伯母さんや我が母は言っています。

そんなおばあちゃん。
私がピーマンが嫌いだと知るや、お昼に真緑に見えるほどの
ピーマンだらけの焼き飯を作って食べさせたりしました(笑)。
(おかげでそれから私のピーマン嫌いは直りました。)

そんなおばあちゃんを半日も家の外に締め出して
家の中でTV見放題をしていた私を、九十にもなって愚痴っていたおばあちゃん(爆)。
駄目だと言うのに庭を掘り返して遊ぶ私を見つけては怒っていたおばあちゃん。
百歳になってもお肌の手入れに余念がなく、お肌ツルツルだったおばあちゃん。

おばあちゃん、大好きでした!
あの世でおじいちゃんとまたブイブイ言わせてください!(爆)

ほんまにありがとう!!








ご冥福をお祈りします。

                                  孫・どぅいちゃん

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Secret

アンパンウーマンさんへ

アンパンウーマンさんはおじい様ですか…。
やはりこの夏の暑さがこたえたのでしょうかねぇ…?

ご冥福をお祈り申し上げます。

銀妹へ

おばあちゃんが天津に住んでたという話は
私が大きくなり横浜に引っ越して
おばあちゃんと会う機会も減った後で聞いたので
じっくり話を聞く機会がなかったのが悔やまれます。

一度「もう1度天津に行ってみたいか?」と聞きました。
するとおばあちゃんは
「今の天津は自分が住んでいた頃の天津ではない。
当時の街並みはずいぶん変わっているだろうし、
そこに当時の友人や知人が住んでいるわけでもないだろう。
だから、(今の)天津に行きたいとは思わない。」
と話してくれました。

たしかになぁ…と納得してしまった私でした。

・・・。

私は この秋 祖父をおくりました。
私は 後悔だらけでおくったので・・・。
どぅいちゃんさんがうらやましいです。

それにしても おばーさま 立派で見事な人生を歩まれたんですね・・・。
子供に先立たれる・・・想像するだけで 胸がいたい・・・。

100才になっても お肌の手入れを怠らない・・・。
最後の最後まで・・・。
そこに生きる姿勢が見える気が・・・。憧れます。

御冥福を心からお祈り申し上げます。

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No title

いや~、素晴らしい明治の女性ですねえ。
お逢いして中国時代のこと色々聞きたかったな~。

今頃イケメンのおじいちゃんとブイブイやってるんじゃない?

きっとどぅい姐もおばあちゃんと同じくらい長生きするね!

ゆうりさんへ

長寿も天寿も百歳の大往生じゃたいした違いはないからOK!(爆)

おばあちゃんの肌は本当にツルツルしてて
とても百歳とは思えない肌でした。
聞くところによると毎日乳液を顔に塗るのは忘れなかったとか。

出棺の際に棺にお花を添えるのに蓋を開けた時
「おばあちゃんお肌ツルツルやなぁ…。」
と皆で頬を撫でて感心しました(笑)。

おばあちゃんの血を引くオナゴ衆は
「九十になっても年寄り臭い柄の服は着ない!」
を心に刻んで送り出しました(嘘)w
でも、老いは気から。その気概は受け継いでいこうと思います(笑)。

ゴメン

長寿→天寿の間違いでした(汗)
申し訳ない!

No title

どぅい家のゴッドマザーにふさわしい生涯でしたのね。
激動の時代を生き抜いて、ご長寿を全うされたおばあさまの
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

しうぐーさんへ

流石に焼き場での最期のお別れの時は涙が出ました。
もうこの世でおばあちゃんの顔を見る事はないんだなぁと。

でもね、通夜の宴席では昔話に花が咲き
数十年ぶりに揃った我等悪孫組の悪行三昧の話題で盛り上がり
ずっと伯母や母に責められておりました。
「おばあちゃんも隣の部屋でため息ついてるわ(笑)。」
髪も白くなり始めた悪孫組は
「なんでこうなんの?」「また俺達の(悪行)話?」
と、針のむしろ状態で話の流れが変わるのを待っておりました。
従兄弟達の中でも邪派だったのだと思い知らされた夜でした(爆)。

おばあちゃんみたいに生きるのも死ぬのも
とても真似出来そうにありません。
でもこんな女傑が祖母だったというのは私の誇りです。

なんだか泣きそうになってしまいました。

おばあちゃん、いいことも悪いことも楽しいことも辛いことも、いっぱいいっぱい経験されたんでしょうね。
時代が時代だけに、ご苦労も多かったと思います。

きっと「たくましく生きる」って、こういうことなんだろうなあ。
なんだか元気をいただきました。

あちらでまたおじいちゃんと会って、楽しく過ごされるといいですね。

こんなカッコイイおばあちゃんになりたいです!

御冥福をお祈りいたします。
プロフィール

どぅいちゃん

Author:どぅいちゃん
『射雕英雄伝』を見て武侠の世界に嵌りました。
パパこと東邪・黄薬師に心を奪われ、それ以来武侠の「イカレオジ専」担当です。
リアルな武侠仲間がいないのを憂いて、ゲリラ的に武侠布教活動を行っております。

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